2017-05-16 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第8号
「勅語衍義」というものがあります。 これはどういうものかといいますと、教育勅語が国民に何を求めているのか、その読み方を詳しく解説したものであります。そこに書かれているように、これは、「文部省檢定濟 師範學校中學校教科用書」というふうに書かれているように、当時事実上の公式教科書として扱われたものであります。
「勅語衍義」というものがあります。 これはどういうものかといいますと、教育勅語が国民に何を求めているのか、その読み方を詳しく解説したものであります。そこに書かれているように、これは、「文部省檢定濟 師範學校中學校教科用書」というふうに書かれているように、当時事実上の公式教科書として扱われたものであります。
お配りした資料二と三に先ほど挙げられておりました井上哲次郎氏の「勅語衍義」、また文部省が作成しました「国体の本義」などがありまして、そこから抽出したものを資料として作成しました。これらを使って今日は議論をしたいと思います。
じゃ、この皇祖皇宗とは何かと、「勅語衍義」を読むと、「天祖天照大御神ノ詔ヲ奉ジ、降臨セラレテヨリ」、「神武天皇ニ至リ」、「神武天皇ノ即位ヲ以テ國ノ紀元ト定ム」と記しているわけですけど、私はアマテラスオオミカミや神武天皇が日本の始まりというのが日本の正規の歴史だということは一切習ったことがございません。
これは「勅語衍義」といって、教育勅語が出された後に、井上哲次郎という当時の文部省が依頼した学者、文学博士なんですけれども、その方を中心として編さんされた衍義、つまり中学校や師範学校でこれを基に教育勅語を解説し、授業の中で、あるいは研修で使われたというもので、教育勅語とはこういう解釈するんですよというような説明がされているものであります。 「夫婦相和シ」というところ。
「勅語衍義」でこの「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、」というのはどういう説明になっているか。これは当時文部省が公式の解説書としてつくったものですけれども、この中を見ますと、「世ニ愉快ナルコト多キモ、真正ノ男子ニアリテハ、国家ノ為メニ死スルヨリ愉快ナルコトナカルベキナリ、」とまとめているんですね。まさにそう解説していますよ。 皇運というのは、先ほど大臣が述べられたとおり、天皇、皇室の命運です。
ただ、これも「勅語衍義」でいいますと、例えば「夫婦相和シ」というのはどういう意味かといいますと、国家の安定のために夫婦の相愛を求め、「妻タルモノハ、夫ニ柔順ニシテ、妄ニ其意志ニ戻ラザランコトヲ務ムベシ、」男女平等とはほど遠い解説になっております。 さて、このいわゆる十二の徳目のうちの最後のもの、「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。」
私はここに、これは戦前の文部省が教育勅語についてつくったまさに公式の解説書ですよ、井上哲次郎氏の「勅語衍義」というものを改めて持ってまいりました。「勅語衍義」はこの部分についてどう述べているか。
この寺子屋で子弟教育の基本となったのが、程順則が中国から持ち帰った六諭衍義でございます。参考資料として今お配りをさせていただいておりますが、この程順則は中国へ、七十一歳の人生の中であの当時中国へ五回留学をしておるわけでございまして、二十一歳のときに当時の師であります竺天植の教えでこの六諭衍義を知るわけでございます。
これは文部省検定による「勅語衍義」ではっきりと述べられています。これで教育が行なわれてきたのです。これが教育勅語における「夫婦相和シ」の理念なんです。 それからもう一つ申し上げたいと思います。これは昭和十九年に出ておりますところの「國体の本義解説叢書」、これは文部省教学局が出しています。親に孝にというのは一体何かという点ですね。これにははっきりと執拗に強調されておる点があるわけです。
で承認を得るためであるとし、あるいは政府の責任を解除するためであるとして、明確にそういった文言が書いてあったのでございますが、明治二十年を境としまして、その後に書かれました幾多の草案には、いずれも七十二条の文言が書かれているだけなので、あるいは何かの理由で起草者たちの考え方が、明治憲法施行時代に行なわれていたような消極的な解釈に変わったのではないかと思ったのでございますが、その中の「大日本帝国憲法衍義試草
そこに目をつけて八代将軍吉宗が室鴻巣に命じて六諭衍義や五常和解というような書物をわざと寺小屋に配布したという、この徳川封建時代の教科書問題があるわけです。明治になってからも明治十九年の時の文部大臣森有礼が自由民権思想と海外思想の普及に一つのレジスタンスを感じたかもしれませんけれども、教科書検定制度を打ち出してきた。
ことに明治憲法の解釈については穗積八束博士、教育勅語の解釈については井上哲次郎博士の教育勅語衍義というものがほとんど支配的で、まず国学というような形をなしておつた。ところが御承知のごとく、敗戦後ドイツ流の旧憲法から英米流の新憲法にかわつた以上は、教育勅語も徹底的に訂正を要するというのが私の意見であります。二つ並行した考えであります。
そして教育勅語は故井上哲次郎博士の「教育勅語衍義」によつ正統的解釈が下され、また憲法の講義については、故穗積八束博士が解釈を下され、もちろん天皇主権説に対しては美濃部博士、その他副島博士等の異論がありましたが、この二人の思想家によつて、日本の思想をリードして太平洋戦争に突入し、戦争直後まで続いたのであります。